管理番号 | 新品 :59502494 | 発売日 | 2024/02/29 | 定価 | 8,850円 | 型番 | 59502494 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
カテゴリ |
レコード収集の全盛期時代の1977年1月22日(几帳面な性格の為・記録ノート参照より)に今堀レコード石山店(大津市)で購入し、株式会社キャニオン・レコードより発売された、CANYON・レーベルのLPレコード『ちえこのビバ・アニマルズ!!/松本ちえこ』貴重盤(盤は美品)です。内容は、表紙表裏(帯あり・ライナー)によりますと、「恋人試験」で人気爆発!!ちえこの初LP。構成・作詞:伊藤アキラ。構成・作曲・編曲:あかのたちお。と明記しています。★貴重な初回ポスター付(隅に押しピン跡があります)です。曲目は、オープニング(ビバ・アニマルズ)。深夜のディスコ。バスボンのうた。ふてきな三銃士。の全13曲入りです。当時の定価は、2400円です。内外袋は新品に交換して出荷します。ジャケットは、並の中です。◆レコード盤(溝)は、ELP社レーザー・ターンテーブル用の外国製レコード専用バキュームクリーナー(RC-20・定価108,000円)と専用クリーニング液等(定価5500円)を利用してクリーニングしますので、歪等がなくなり音質が格段向上します。溝は、レコードスプレー等では、長期間保管中にカビ等の原因にもなり、良い音は再現出来ません。自宅長期保管になりますので、ご理解ある方のみ入札お願いします。尚、こちらも気を付けていますが、万一、他に傷・匂い等がある場合がございますので、神経質な方は入札ご遠慮願いますノークレーム・ノーリターンをご了承願います。。●昨今、CDよりレコード(レーザーですと溝を傷付けません)の音源が見直されつつある中で、レコードは貴重品(周波数特性が広い上、一度手放すと元には戻りませんので大切)です。また、アナログ・レコード盤は洗えば洗うほど綺麗になります。綺麗な盤面から、綺麗な音が甦ります。新品のレコードでも、塩化ビニールの切カスや保存用のレコード内袋に入れた段階でゴミや埃が付着していますので、最低一回はどんなレコードでも洗浄する必要があります。(尚、水道水洗い等は危険です、カルキ等で音質低下に繋がりますので)★レーザーターンテーブル試聴での再確認OKです。★★補足事項になりますが、レコード盤の洗浄等は、あくまでもこちらのサービスで行っておりますので。(付け加えますと、洗浄後は音質が、通常より更に歴然と向上しています)★★★LP盤は、当時、行きつけのレコード店で新品を購入して、MCカートリッジ(オルトフォン、サテン、デンオン、ダイナベクター、スペックス、FR等)で1~2回聴いて、長期間大切に保管しているレコードですので、特別に歪・キズ等はありません。また、発送前に再洗浄致します。
(2022年 12月 30日 7時 53分 追加)
★★★当初このLPの購入切っ掛けは、22歳の頃、とあるスーパーの電気店に勤めていた時に、同スーパーの衣料品担当店員を好きになったのが、松本ちえこに少し似た子だったので、LPを買った次第ですわ。
あと、バスボンのコマーシャルも大好きでしたよ。
(2022年 12月 30日 8時 07分 追加)
●追悼。
74年に「お小遣い稼ぎのつもりで『ものまね番組』に出た」のがきっかけで歌手デビュー。2年後、16歳のとき、資生堂・バスボン石鹸シャンプーのCMに起用され、注目された。「まんまる顔の女の子はいい妻になれるって」とたどたどしく歌うCMソング(「バスボンのうた」)が人気を博し、CMからブレイクしたアイドルの先駆けといえる。その勢いでサードシングル「恋人試験」はオリコン5位のヒット曲となった。
この曲は、男性相手にテスト形式で自分に関する質問を繰り返したあと「知っているのにワザとまちがえる」ような「65点のひとが好き」と、オチをつけるというもの。彼女自身、庶民的でちょっとはすっぱな、普通のコっぽい可愛さが売りだったし、日本中の普通の男子をその気にさせるような、アイドルソングの極意というべき内容だった。それとともに、受験戦争などという言葉が盛んに使われる時勢も反映していたわけだ。
また、シングル5作目の「ぼく」は当時現れ始めていた男の子の一人称で話す女子(最近でいう「ボクっ子」)の心象風景を歌にしたもの。ちなみに、前出の「バスボンのうた」はまだ世間的に無名だったコピーライターの糸井重里が作詞していたりする。70年代を象徴するアイドルといえば、山口百恵やピンクレディーが代表的だが、彼女もまたそのひとりであり、時代の先取りもしていたのである。
ただ、歌も芝居も抜群に上手いわけではなく、所属事務所も小さかったから、絶頂期は短かった。78年には映画「博多っ子純情」でヒロインを務めたものの、その直後に妊娠疑惑騒動が発生。アイドルとしてのイメージは低落した。
しかし、ここで彼女は本人いわく「賭け」に出る。「PLAYBOY」79年12月号でヌードになったのだ。「20歳・女への出発(たびだち)」と題された全15ページのグラビアは話題になり、彼女は男性週刊誌の対談企画などに引っ張りダコになった。2年後には、こう振り返っている。
「事務所にも内緒だったけど、あれで私の『清純派』のイメージがふっきれたんですもの。きっと、あのまま『清純派』を気どっていたら、私、精神病院行きだったかもしれないな」
つまり、彼女はアイドルがヌードによって過去のイメージを脱却して新たなステージへと進む、という手法の第一号となった。これはやがて「アイドルヌード」の定番と化していく。91年に宮沢りえが脱ぐまでは、この松本ちえこ型が主流だったのだ。
こうしてひとつの歴史を作った彼女は、にっかつロマンポルノに進出。その後は女優・タレントとして地道に活動を続けた。が、90年に「未婚の母」となることがわかり、また世間を驚かせることに。娘を出産後、6歳下のミュージシャンと入籍して、しばらくは育児に専念することとなる。
やがて、育児が一段落したのを機に活動を再開。当時のブームにのって、ヘアヌード写真集も出した。その後、夫とは離婚したが、娘が芸能界入りしたことにより、バラエティ番組での母娘共演も実現。娘は一般人と結婚して、一児の母だというから、孫にも恵まれたわけだ。
亡くなったのは11月17日で、同居していた娘が発見。前日まで元気だったようだ。また、死の前月には「フォークソングカフェ」というブログがアイドル時代の彼女のことを取り上げており、そのコメント欄を見たら、11月25日に「匿名」で「昨晩 お通夜でした」という短い書き込みがされていた。
60歳という年齢も含め、一世を風靡した芸能人の最期としては淋しい印象もなくはないが、ネットではかつてのファンを中心に惜しむ声や懐かしむ声が数多く見られた。実際、彼女ほど親しみやすさを感じさせたアイドルはなかなかいない。また、30歳以降の活動が少ないため、そのイメージはもっぱら若いころのまま保たれているともいえる。 とりわけ70年代に青春をすごした世代にとっては、ひとつの時代が去り行くことを感じさせる、記憶に残る死になりそうだ。